動物がそばにいることを考える

 連れ合いの両親と昨日ご飯を食べてたときに「犬や猫を飼う気はないのか」とそれとなく尋ねた。犬や猫の世話、そばに小さな気配を感じると楽しみが増えると思ったのです。無責任にすすめるわけにいかないのはわかってる。何かあっても近くに住んでるからわたしたちが引き継げると思ってる。
 高齢の両親二人で暮らしていて、ずっと同じ家に住んで年をとり、父上がちょっとずつできないこと、わからないことが増えていく中どうしたら何気ない毎日を楽しめるだろうか。
 結果、母上は動物を飼うのは嫌だって。母上は動物そんな好きじゃないと(知ってた)。でも連れの生まれる前は文鳥を飼っていたことが判明した。番で飼っていたけど片方が死んじゃったらもう片方もすぐに死んじゃった。動物は先に死んじゃうからやだ。捨てた覚えがないから多分まだ外の倉庫の奥に鳥かごもある。もしも動物を飼ったとして世話をするのは母上だ。責任感の強い人だから簡単に飼おうとしない。多分飼ったら文句言いながらちゃんと世話をして、世話をしていくうちに可愛がってくと思うけど、無理矢理じゃだめだよな。
 文鳥も人にもらってくれと言われて仕方なく飼ったというが、何十年も籠捨てずにいるのはやっぱり可愛がってて死んじゃって寂しいからだと思う。

 昔、連れの家の天井裏で近所の猫が赤ちゃん産んでしまい、子猫が壁の隙間に落ちてしまった。壁の中から鳴き声が聞こえてきたから壁に穴開けて出したと話しするときも母上は「だってしょうがないじゃない、すぐそこで鳴き声聞こえてるんだもん」という。その話し方からも動物飼ったら文句言いながらすごくきちんと世話しそうなんだけどな。あと、父上は実家が農家で多分ずっと猫や犬がいたと思うし、こないだも生まれ育った家に遊びに行き、猫に呼び掛けてたから動物好きだと思う。でも今は世話はもうできない、と思う。
それでも動物がいたら心にいい刺激がいくんじゃないかと思う。

 アニマルセラピーが父上の行ってるデイサービスにもきてくれるといいのにな、と思ったりする。人と話することがとても好きだったのに、その部分が多分いちばん脳でダメージを受けてしまったようだ。言葉がうまく出てこなくて人と話をしなくなった父上。動物ならば言葉にしなくていいから、一緒にいてうまくしゃべれない自分にいらいらすることもないと思う。

これは昔、お昼ご飯を食べた美瑛のペンションにいた犬。通じ合えてる。

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